- 2017-1-20
- コラム
トマス・Jスタンリーの億万長者の成功の秘訣にみる! 調和のとれたシンプルな暮らし方
日本人は引き算の空間を作ってきた。
千利休によって考案された茶室は、いかにも日本人らしい安らぎの空間です。この空間を理解できない者に、日本人は理解できないといいますが、日本の空間は全てが軽くこじんまりとしており柔軟です。
余計なものは何もないのに、足りないものもないというシンプルでありながら、いつでも瞬時に必要な空間へと対応できてしまうのです。この無駄のないシンプルな生き方こそ、洗練された慎み深さであり、日本文化の美意識なのです。この生き方は、節度や慎み深さ、謙虚さを保ちながらも、完璧を目指し、臨機応変であり自由な生き方といえます。
小さな家に住まうという贅沢!
広い家を小さな家に交換して住む人々がいます。彼等は暮らしを引き算することにしたのですが、その結果小さな家では、やらなければならない事も少なくなりました。荷物も少なくなりますし、芝刈りや家のメンテナンスに費やす時間も必要ではなくなったからです。
波止場の哲学者といわれたエリック・ホッファーは、ワンルームの小さなアパートで暮らしました。詩人であるヘンリー・ソローは2年間以上の間、ひとりで小さな山小屋で暮らします。
彼等は、「ひとりの暮らしは人生の崇高さを証明するもの」だと考えて、大自然の懐で、孤独に過ごすことにしたのです。しかし彼等が得たものは孤独感ではなくて、驚くほど豊かな暮らしを手にいれたと感じることになりました。大自然そのものが、限りなくシンプルでありながら日々豊かな表情をみせてくれたからです。
近代建築の三大巨匠のひとりであるル・コルビュジェは、3.6㎡という狭い建物をたてて、毎夏1ヶ月のバカンスをそこで暮らしました。上野の国立西洋美術館も彼の建築によるものです。ル・コルビュジェは「家とは飾り立てるためではなく、人間の幸福の為にある」と言っていますから、夏の小さなコテージにも、何か意味があったのかもしれません。
一輪の花を飾り、お茶を飲む贅沢な時間
億万長者にたいして大規模な調査を実施し、米国富裕層研究の第一人者であるトマス・J・スタンリーは、大多数の億万長者が慎ましやかな生活スタイルを好むことを証明しました。ここでいう億万長者とは100万ドル以上の資産を持つ人のことです。
100万~250万ドルの資産をもつ億万長者における住宅の占める割合は、平均して27%であり、約90%の億万長者が100万ドル以下の家に住み、その内30万ドル以下の家に住む億万長者は、実に110万人存在しています。
小さな家に住むという選択を、お金がある人ほど行っているというのは逆説的で面白いことです。スーパーリッチといわれるような、どれほど散財してもびくともしない人は全米のわずかに2%にすぎず、お金もちにみえる人々の多くが、「お金持ちに見られたい人」だといいます。
ジョギングをする人が、その必要がないほどスタイルが良いように、お金もちほど、質素なライフスタイルを好み、また質素であったがゆえにお金を維持しつづけているのです。
あるがままに生きてみよう!
「世の中には自分の力ではどうにもならないことがある」という事を知っておきましょう。自分でどうすることも出来ない事は、あるがままに受け入れるしかないのです。本当に悩まなければならないのは、自分でどうにかできる事なのです。
いい加減というのは悪い意味にとられやすい言葉ですが、本当は自分にあった力量を知る事です。そしてトマス・J・スタンリーによれば、自分の力量を知っているのが、金持ちといわれる人々のようです。
多くの億万長者は1足の靴の靴底を張り替えるなどして、大切に長く履いています。このように古いものを大切にするのは、億万長者ではなくても、日本人の伝統でもありました。長い歴史と伝統を大切にして、うさぎ小屋と言われるような小さな家で、四季折々の行事を大切に、上品な暮らしをしてきたという歴史があります。
幸福の感度をあげよう!
分相応よりも生活レベルを下げることは、「より多く」という考え方から「もう十分」という考え方にシフトすることであり、本物のお金持ちが実践していることです。
ロレックスという高級時計について、このような統計が発表されました。ロレックスを持っている億万長者は7人に1人、しかもそのロレックスを自分で購入したのは、さらにその半分でした。
お金持ちが自分で購入した時計のベストワンはセイコーです。19.5%の億万長者がセイコーの時計を購入しています。セイコーがとても正確に時を刻むからです。
小さな家では、多くのものを持ち込むことはできません。ですから自然にその家に相応しいものだけを選ぶ以外に方法がなくなります。余分なスペースが存在しないのですから、シンプルで機能的に住まう必要があるからです。
雲は何物にもとらわれないで思うままに形をかえるが、雲である本分は失わない
イライラしたり腹がたったりするのを、どうしたら止めることができるのでしょうか?そんな疑問に苛まれている人がいます。無心になれないというのですが、無心とはどのような気持ちなのでしょうか?
禅には「雲無心にしてしゅうを出ず」という言葉があります。それは雲が風に吹かれるままに無心に形をかえても雲であることは変わらないという意味です。無心とは心の思い浮かぶことを、そのままに任せることです。やがて思いは消えてしまうでしょう。
喜怒哀楽の感情をなんとかしようとすれば、かえって囚われてそこから離れられなくなります。思いや感情に動かされないようにしようとする必要はありません。そのまま思いにまかせていると、力みがなくなります。そうすれば今に集中することができるようになり、心はしなやかに、柔らかくなります。それが無心に近づくコツなのです。
静けさは強さのあらわれ
人は人、自分は自分。そんな当たり前なことがなかなか認められません。他人の人生観をあげつらうのは筋違いなのです。江戸時代の儒学者である貝原益軒は「聖人をもってわが身を正すべし、聖人をもって人を正すべからず。凡人をもって人を許すべし。凡人をもってわが身を許すべからず」と言います。
つまり自分には厳しく、他人には寛容にということです。自分らしい人生を選ぶうえでの教訓となるでしょう。維摩居士という仏教信者がある時に智慧の文殊さまから問答をしかけられます。それに対して沈黙でこたえたのです。
その沈黙は「響き雷鳴の如し」と言われています。雷が轟きわたるようなインパクトのある沈黙もあります。沈黙も大いなる表現力なのです。貴方らしい生き方や人生観をあげつらうような人がいても、逆らわずに沈黙で答えるのも、またひとつの生き方といえます。
外は雪 内は煤ふる すみかかな…小林一茶
古来日本には清貧という考え方があり、ある意味厳しい生き方を当たり前として暮らしているお年寄りの方々がいます。茶の湯の儀式、職人の技、日本の伝統的な調理法などにも、この清貧から与えられる感動と同じような精神性の深さが感じられます。
私たちも日本人の、様式美を見直す時期にきているのかもしれません。清廉で美しい生き方のためにも、今よりもワンランク下の生活をはじめて見るのもよいかもしれません。小さな自分だけの家は、さぞかし心地がよい事でしょう。
それに小さな家を選ぶこと、そして質素な佇まいがお金持ちといわれる人々のライフスタイルと同じならば、もしかしたらゆっくりと資産をふやしていけるかもしれません。気が付けば質素な億万長者になっているかもしれませんね。
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