- 2016-5-23
- コラム
松下幸之助、稲盛和夫など名経営者たちが古典に頼る理由「古いものが一番新しい」
景気の衰退が深刻化し始め、どの業界でも即戦力が求められるようになるとプレゼンテーションやライティング、そしてコミュニケーションなどスキルアップセミナーがどんどん増え、書店に行っても同じようなタイトルの本がところ狭しと並んでいます。
しかし、当たり前のことかもしれませんが、スポーツなどでも「心・技・体」と言われ、いくら技術やテクニックの「技」の部分だけを身に付けても結果を残せないのと同じように、セミナーやビジネス書で学べる「技」は、人間力という土台があってこそ活かされるものであり、むしろ、人間力がなければ、スキルの価値はゼロどころかマイナスになってしまう可能性すらあります。(1)
「技」だけ磨いても、人間力が土台になければ、むしろマイナスになる
実際、どれだけ時代が進んでも、人間がどんなことに信念を寄せ、どんなことに心が振り動かさせるかといった「人間力の基本的なベース」はそう簡単には変わらず、そういった観点を考慮すれば、何百年、何千年と語り継がれてきている言葉にこそ本当の意味があり、現代の世の中では、「古いものが一番新しい」と言い換えることができるのかもしれません。
孫正義さんも織田信長、豊臣秀吉、そして徳川家康などの偉人を徹底的に研究して経営に活かしていると言いますし、古典など何千年もの間、語り継がれている言葉は、偉大なる精神力を持った偉人たちが、莫大なエネルギーを込めて次世代に託した人類の遺産であるため、毎年何千冊と発売されるビジネス書籍とは信じるに値する価値が格段に違います。(2)
莫大なエネルギーが込められた古典こそ、信じるに値する
新渡戸稲造がヨーロッパで教鞭をとっていた1889年、ある時ベルギーの法学者から「日本の学校には宗教教育がないのか?だとしたら、子孫にどうやって道徳教育をしているのか?」と聞かれたことがきっかけで、日本人の価値観は封建制度と武士道にあることに気づき、その内容を著書「武士道」にまとめて出版し、世界中の人々に読まれました。(3)
しかし、戦後、日本人の伝統的な価値観は失われ、戦後最大の日本の失敗は、精神や道徳、そして心の教育をしっかりと行ってこなかったことだと指摘する人も多く、ここ数十年、ビジネス界でもうつ病や不正など、人間力が弱いことが原因で、様々な問題が発生しています。
戦後最大の失敗は、精神の鍛錬を軽視してきたこと
果たして、何百年、何千年前に書かれたものが21世紀の現代で活用できるのかと、首をかしげる人も多いのかもしれませんが、古典というものは、例えば、孔子が2,500年前に言っていた言葉が、今の世の中でも通用すると気づいた瞬間に凄さを感じるもので、古典を読むことによってようやく私たちは目の前の苦しみに隠された本質に気付くことができます。(4) (5)
京セラの稲盛和夫は、西郷隆盛の「南洲翁遺訓」や西郷に多大な 影響を及ぼした佐藤一斎の「言志四録」 などを愛読しており、松下幸之助は江戸時代の思想家、石田梅岩の「都鄙問答」を読み、彼のところに助けを求めてくる人たちには「梅岩を読みなはれ」と勧めていたと言います。(6)
2,500年前の言葉が今でも通用すると感じた時、古典の凄さが分かる
また、2,000年以上前に書かれた「孟子」は中国で王朝が立ち行かなくなった際には必ず再評価されて、新たな王朝を誕生させ、日本でも維新志士たちを動かす原動力になった思想が「孟子」であったことは有名な話ですが、「孟子」の中では精神や心の在り方を日常生活の場面を交えながら分かりやすく説明しています。(8)
「残念なことに、人は飼っている鶏や犬が逃げ出したなら、あわてて捕まえようとするものだが、自分の良心を見失っても探そうとはしないんだよなぁ。」
「今、君の薬指が曲がって伸びなくなったと仮定しよう。べつに痛みもなく日常生活に保障もないとしよう。これを元通りに治す医者がいると聞いたなら、どうかな?君は千里の道も遠しとせずにその医者の所へスッ飛んで行くだろうよ。というのも君の指が他の者の指より劣っているのが目で見て自覚できるからだ。ならば、心の場合はどうだろう?そうだよな、心は人の目にさらされないものだから、人より劣っていようと平然としていられるんだ。」
人は具合が悪くなれば医者に行くのに、良心を見失っても何とも思わないどころか、気づきもしない
プレゼンテーションのスキルやコミュニケーションの仕方はセミナーに参加したり、ビジネス書を読めば大体のことは分かりますが、良くも悪くも人間力や心の在り方などは、誰も教えてくれません。
そういった意味で古典は、生き方や人生といった漠然としたものを捉えるための指針であり、ただ古典や偉人の言葉を聞いて感動するのではなく、それらを自分の生き方として血肉化し、確実に仕事や生活の中で実行していくことが求められます。
即効性がないからこそ、確実に血肉化して、実行していくことが求められる
松下幸之助は、「素直初段になるのに40年かかりました」と述べたそうです。繰り返しになりますが、古典などに載っている言葉が何百年、何千年と伝え続けられているのには、やはりそれなりの理由があり、それをわざわざ疑う理由はほとんどありません。(9)
ビジネスと古典は直結し、特に伝統的な経営を行う人は古典などの過去の偉人の言葉を素直に受け止め、常に実行することで、精神を鍛えており、稲盛和夫は何の意思決定をする時も、「自分がこの行動をすることは、本当に皆のためになるだろうか。もしかしたら、自分のためという私心はないだろうか」という問いを100回自問自答すると述べています。
つまり、経営の神様として、世界中から尊敬される人でも、ちょっとでも隙ができると私心が入り込むということなのでしょう。そういった意味では私たち凡人などは、古くから言い伝えられている古典の内容を血肉化して、自身の中に取り入れ、人間力を磨くことで、常に心を太くする努力を続けていなかければ、あっという間に心が乱れ、悪い方向に足を引っ張られてしまいます。
古いものが一番新しい
特に経営者は、常に戦場にいるようなものであり、古典を読むということは「木を見るのではなく、森を見る」というような感覚で、少々アバウトなものなのかもしれません。
視覚や聴覚のような感覚は、「外の物」に敏感に反応するという特色を持っており、いったん「外の物」に反応し始めると、たちまち引きづられていってしまいますが、疑う余地がない偉人の言葉や教えを血肉化し、しっかりと大きな心の本性を養っておけば、小さな肉体的本性によって引きずられることは少なくなってくるでしょう。
古典を血肉化しておけば、外の物に振り回されることはない
現在、古典が経営者の間で少しずつ読まれて始めているのは、行き過ぎた成金主義や物欲主義、そして社会があまりにも早く結果を求めようとしていることに対する反動の表れのような気がしてなりません。
「すぐに役に立つものは、すぐに役に立たなくなるもの」、ある程度の年を重ね、会社を運営しながら結果を出してきた人であれば、当たり前のこととして理解できるはずなのですが、稲盛和夫が言うように、それを100回自分に言い聞かせるぐらいでなければ、ほんのちょっとの隙で人間の心は乱れてしまうものなのでしょう。
お坊さんが一生修行を続けるように、長期的にビジネスを成功させる鍵はこの辺りにあるのかもしれません。
~人が生きる奇蹟の組織創造を目指して~ 株式会社ワールドユーアカデミー
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