スティーブ・ジョブズ最後の言葉 「私が今、死と共に持っていけるのは、愛に溢れた思い出だけ」

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死と向き合うことで、生き様が変わる

織田信長が幸若舞の「敦盛」、かの有名な「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり、一度生を享け、滅せぬもののあるべきか」の一節を舞うことを好み、また「死のうは一定、しのび草には何をしよぞ、一定かたりをこすよの」との小唄をよく口ずさんでいたことは、有名な話です。

織田信長は、どうせ死ぬならば、いずれ人に語り残される生き方をしようとして、暁の星のように激しくも眩い生き様、死に様を見せ、現代にも語り継がれるような人生を生き切りました。

同じように等しく全ての人が、逃れようもなく死を迎えるならば、悔いのない生き方をしたいものであり、颯爽とした死にざまを迎えたいものです。

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死に際にどのような言葉を残していくのだろうか?

人は生きていた証を残しておきたいと思う生き物のようです。それでは古今の有名人はどのような言葉を残してきたのでしょうか?その辞世の言葉を知ることで、その生き方に触れることができるかもしれません。

ゲーテは「もっと光を」と言い、マリー・アントワネットが最後に死刑執行人の足を踏んでしまったことを「ごめんなさいね、わざとではありませんのよ。靴が汚れなくってよかったわ」と言ったことが、残されていますが、どちらもなんとなくその人柄がわかるような気がします。

高杉晋作の辞世の句も有名です。「面白きこともなき世に面白く 住みなすものは心なりけり」心ばえひとつで、生き切った人生がよく表されています。しかし実際には「面白く」まで言ったところで、息が続かず、後半は控えていた僧侶が述べたようです。

高杉晋作は、辞世の句を聞き終わると、「面白いなあ」と一言述べてなくなりました。高杉晋作の短いけれど、あの幕末を駆け抜けた人生を生き抜いたからこそ、最後に「面白いなあ」と言えたに違いありません。高杉晋作は後継の若者に、沢山の影響を与えています。

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世界で最も影響をあたえた内のひとりは、間違いなくスティーブ・ジョブズだ。

若い人への影響力という点では、スティーブ・ジョブズを欠かすことは出来ません。スティーブ・ジョブズは、闘病中の2005年アメリカのスタンフォード大学の卒業式で、未来ある若者にたいして講演を行っています。ジョブズは貧乏であったことから、大学は半年で退学しています。しかしその後1年半は大学に残り、授業に潜り込んで学んでいました。

彼がマッキントッシュを開発できたのも、この大学での学びがあったからだといいます。そしてアップル社を追い出され、ピクサーを立ち上げたことこそが、ジョブズの原点だとも語っているのです。最悪の場面で信念を失わなかったこと、そして立ち尽くさず歩み続けたこと、仕事を愛したことこそが、彼の成功の原点だったのです。

限られた人生であるからこそ、直観を信じて歩みを止めない。今日が最後の日だとしても、それでもやりたいと思う事をするべきだと、学生たちに訴えているのです。その講演の最後の言葉はこう締めくくりました。

「ハングリーであれ。愚か者であれ」と……

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人生は美しい。

それではスティーブ・ジョブズの最後の言葉は、どのようなものだったのでしょうか?「私が勝ち取った多額の富は、私が死ぬ時に一緒に持っていけないが、愛は持っていける。私が今、死と共に持っていけるのは、愛に溢れた思い出だけなのだ」というものでした。

お金よりは愛が勝る、当たり前のようですが、スティーブ・ジョブズのような成功者の最後の言葉だと思えば、感慨深いものがあります。

そしてスティーブ・ジョブズは遺言をティム・クックという、アップル社の後継者に残しています。それは「スティーブならどうするだろう?」を考えるな!というものです。
スティーブ・ジョブズはティムの為に、愛のある遺言をのこしたのです。

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死に際に残したいのは「ありがとう」という言葉。

小泉八雲は「人の苦しがるのを見るのは不愉快でしょ。あなた、あっちにいってらっしゃい」と最後まで妻を気遣う言葉を残しています。さすがに紳士の面目躍如といったところです。

90歳で亡くなったちよみおばあちゃんは「感謝感激雨霰、ありがとう、ありがとう」という言葉を残しましたが、最後まで掃除婦として働き通した尊い人生が、偲ばれて辞世の言葉が広まりました。

最後の言葉が「ありがとう」というだけで、家族はそれまでの苦労や、心のわだかまりが全て無くなって、心に温かさが満ち溢れ、故人を愛することができるようです。

やはり「ありがとう」という言葉には魔法があるのかもしれません。介護の苦労や、生前のマイナスの感情も、死に際の「ありがとう!」ですっかり無くなり、その上に温かい気持ちで見送ることができるのです。

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色鮮やかな人生を生きよう!

江戸城の無血開城を成し遂げた立役者といえば、勝海舟です。彼は風呂に入り、風呂上がりのブランディを手にとろうとした時に、脳溢血の発作をおこします。その時に「これで、おしまい」と最後のことばを残しました。75歳の人生ですが、なんとも潔い最後ではないでしょうか?さすが!としか言えません。

死に際の言葉が、ここまで鮮やかに人の胸を打つのは、その人の生き様があまりにも見事であったからにほかなりません。死に様と生き様、どちらも同じものなのかもしれませんね。

波乱の人生を送った中国の最後の皇帝である愛新覚羅溥儀の言葉を見てみましょう。愛新覚羅溥儀は、映画ラストエンペラーでも有名になりました。彼の最後の言葉は「日本のチキンラーメンが食べたい」でした。

愛新覚羅溥儀はロシアの監獄で9年を過ごし、中国に返されてからは北京植物園で、庭師兼掃除係として働いていました。しかし病気になっても元満州国皇帝を治療したら、何を言われるかわからないとして、満足な治療も受けられずに、61歳の生涯を終えます。中国最後の皇帝が、人生の終わりまで日本に憧憬に似た想いを持っていてくれたことに、同じ日本人として心が温かくなります。

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今いる場所こそが、私いるべきところ。

今自分が生きているその場所こそが、自分のいるべき場所であると覚悟を決めて生きることが出来れば、例え悩んだり迷ったりして、人生の選択に苦しんだとしても、最後には「良き人生だった」と思えるようになるのでしょう。

「死のうは一定、しのび草には何をしよぞ、一定かたりをこすよの」との小唄のように、死ぬことは既に決定していて、避けることなどできないのです。いずれ訪れる死に際して、私たちが出来ることは自分らしく、精一杯生きることしかできません。

もしもそれが可能ならば、自分の生きた証が、誰かにしのんでもらえるようであれば、それだけで生きたかいがあったというものではないのでしょうか。

謎の死を遂げた、大女優のマリリン・モンローは友人である俳優のピーター・ローフォードに電話で最後の言葉を残しています。彼女は受話器を握ったまま亡くなったのです。その言葉とは「パット(ローフォード夫人)にさよならを伝えてちょうだい。大統領にもさよならと伝えて。それからあなたにもさよならを言うわ。あなたはよくしてくれたわね。」何だか少し寂しい、切ない言葉です。けれども多くの人がマリリンをしのんでくれています。

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希望をもって生きていたい

多くの先人が、力の限り生きて、そして最後には死を迎えました。穏やかな死もあれば、悲しい死であったかもしれません。しかし彼等は、きっとそのようにしか生きられなかったのです。死に際して後悔をのこしている人もいれば、満足して生き抜いた人もいます。

しかし私たちは、今を生きているのです。そうであるならば、先人たちの最後の言葉を噛みしめて生きていきたいものです。いずれ彼らに、「私も満足した人生だったよ。ありがとう。」と伝えられたら、先人たちは何と答えてくれるでしょうか。



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参照:「生きる/死ぬその境界はなかった 死後生命探究40年の結論」レイモンド・ムーディ(著)ポール・ぺリー(著) 
「いかに死んで見せるか」弘兼 憲史(著)


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